紀伊路。。。あまり知られていないですよね。
熊野古道と言えば中辺路の山の中を思われる方がほとんどだと
思いますが、
もともとは 和泉山脈を和歌山へ超えてから本宮大社までを紀伊路と言ったそうです。
世界遺産に登録されていませんが、
正真正銘の熊野古道です。
機会があり、紀伊路語り部の会主催「紀伊路ウォーク」JR紀伊宮原(有田市)~JR湯浅(湯浅町)まで
歩いてきました
台風接近中、催行するのかな???と心配でしたが
警報が出てないので歩きますよ!との事。
そうなのね。。。
雨対策をして出かけました。
出発時に雨が上がり
このまま空が持ってくれたらいいなぁ
という願いは 歩き出して直ぐに打ち砕かれ
有田川の渡し場跡の辺りで
どどど~と雨


カメラを取り出す事も出来ず・・・

得正寺で小降りになりました。
中将姫というお方に縁のあるお寺です。
中将姫って???
世界大百科事典 第2版の解説
ちゅうじょうひめ【中将姫】
当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母の讒言(ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。後年,雲雀山での狩りの途次,偶然姫を見いだした豊成は,姫との再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美しさであったが,仏道への志深く,ひそかに館を抜け出して大和の当麻寺に入って尼となる。
大分 継母にいじめられたようで、挙句の果てに
継子の殺害計画までするなんて
どんだけ嫉妬深い人でしょう
美しい継母はちやほやされていて、
これまた美人で若くて才能のある継子の存在が
脅威だったんでしょうねぇ
怖い~~

得生寺を出て
糸我稲荷
糸我峠など
見どころや語り部さんの興味深いお話で
中身の濃い道中が続きます
が、
あいにくの雨で写真が取れません
残念


雨の中糸我峠を越えて
湯浅の町へ
この辺でやっと雨が上がりました
本日の語り部さんです。
知識の広さ深さに驚き、
健脚なのに驚き(75歳と仰ってました)
ユーモアセンスに疲れを取ってもらいと
すごい人やなぁと感心しきりでした。

湯浅の古い町並み
二階が少し引っ込んでいるのは
下を武士が通った時に見下ろすようで失礼だ
という事でひっこめたそうです。

昔ながらの醤油醸造元
お店の手前から
お醤油の香りがしていました。

せいろを使って
自分の家に有る骨とう品などを
ディスプレイしています。
せいろミュージアムというそうです
レトロな雰囲気がいいですね。


屋根から木の板が下がっているのは幕壁というそうです
雨や風から家を守るためだそうです。

和紙のランプ
おしゃれなデザインと
暖かいあかり
和みます

ミニ博物館

古い町並みの中に大きな道標がありました。
解説によると
紀伊路の道しるべには熊野古道と紀三井寺の案内が記されている
事が多いとの事です。
また、この道標の横ではかつて
修験道のお寺 聖護院などからお坊さんが来て
加持祈祷をされたそうです

道標の向かいに
立石茶屋があります
昔、お茶を扱っていたお店を
ビジターに開放しています。
土間が奥まで続く懐かしい空間でした。
そして、この綺麗なディスプレイ


全国のお醤油だそうです。
日本酒かワインのようです

高ーい天井と
立派な登り梁

雨に降られて
ずぶぬれになって
どうなるかと思いましたが、
なんとか歩けました。
どんな街にも、小さな道にも
掘り起こせば歴史やなんかの
面白い話があるんだなぁと感心しました。
また、違う紀伊路ルートを歩いてみたいです。

オマケのフジコ(笑)

長くなりました。
最後まで読んで下さった方
ありがとうございました
熊野古道と言えば中辺路の山の中を思われる方がほとんどだと
思いますが、
もともとは 和泉山脈を和歌山へ超えてから本宮大社までを紀伊路と言ったそうです。
世界遺産に登録されていませんが、
正真正銘の熊野古道です。
機会があり、紀伊路語り部の会主催「紀伊路ウォーク」JR紀伊宮原(有田市)~JR湯浅(湯浅町)まで
歩いてきました

台風接近中、催行するのかな???と心配でしたが
警報が出てないので歩きますよ!との事。
そうなのね。。。
雨対策をして出かけました。
出発時に雨が上がり
このまま空が持ってくれたらいいなぁ

という願いは 歩き出して直ぐに打ち砕かれ
有田川の渡し場跡の辺りで
どどど~と雨



カメラを取り出す事も出来ず・・・

得正寺で小降りになりました。
中将姫というお方に縁のあるお寺です。
中将姫って???
世界大百科事典 第2版の解説
ちゅうじょうひめ【中将姫】
当麻(たいま)寺の曼荼羅(まんだら)を織ったとされる伝説上の女性。中将姫の物語を要約すると,継子虐待と当麻曼荼羅の由来にしぼることができる。継母の讒言(ざんげん)を信じた父横佩(よこはぎ)の右大臣豊成の命によって雲雀山で殺されることになった中将姫は,臣下夫婦にかくまわれて命をつなぐ。後年,雲雀山での狩りの途次,偶然姫を見いだした豊成は,姫との再会を喜び館へ連れ帰る。姫は帝に望まれるほどの美しさであったが,仏道への志深く,ひそかに館を抜け出して大和の当麻寺に入って尼となる。
大分 継母にいじめられたようで、挙句の果てに
継子の殺害計画までするなんて
どんだけ嫉妬深い人でしょう
美しい継母はちやほやされていて、
これまた美人で若くて才能のある継子の存在が
脅威だったんでしょうねぇ
怖い~~

得生寺を出て
糸我稲荷
糸我峠など
見どころや語り部さんの興味深いお話で
中身の濃い道中が続きます
が、
あいにくの雨で写真が取れません
残念



雨の中糸我峠を越えて
湯浅の町へ
この辺でやっと雨が上がりました
本日の語り部さんです。
知識の広さ深さに驚き、
健脚なのに驚き(75歳と仰ってました)
ユーモアセンスに疲れを取ってもらいと
すごい人やなぁと感心しきりでした。

湯浅の古い町並み
二階が少し引っ込んでいるのは
下を武士が通った時に見下ろすようで失礼だ
という事でひっこめたそうです。

昔ながらの醤油醸造元
お店の手前から
お醤油の香りがしていました。

せいろを使って
自分の家に有る骨とう品などを
ディスプレイしています。
せいろミュージアムというそうです
レトロな雰囲気がいいですね。


屋根から木の板が下がっているのは幕壁というそうです
雨や風から家を守るためだそうです。

和紙のランプ
おしゃれなデザインと
暖かいあかり
和みます

ミニ博物館

古い町並みの中に大きな道標がありました。
解説によると
紀伊路の道しるべには熊野古道と紀三井寺の案内が記されている
事が多いとの事です。
また、この道標の横ではかつて
修験道のお寺 聖護院などからお坊さんが来て
加持祈祷をされたそうです

道標の向かいに
立石茶屋があります
昔、お茶を扱っていたお店を
ビジターに開放しています。
土間が奥まで続く懐かしい空間でした。
そして、この綺麗なディスプレイ



全国のお醤油だそうです。
日本酒かワインのようです

高ーい天井と
立派な登り梁

雨に降られて
ずぶぬれになって
どうなるかと思いましたが、
なんとか歩けました。
どんな街にも、小さな道にも
掘り起こせば歴史やなんかの
面白い話があるんだなぁと感心しました。
また、違う紀伊路ルートを歩いてみたいです。

オマケのフジコ(笑)

長くなりました。
最後まで読んで下さった方
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